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カガワミツエ

Author:カガワミツエ
KIN56
黄色い自己存在の戦士
(Yellow Self-Existing Warrior)

私は 問うために 明らかにする
大胆さを 測りながら
形という 自己存在の音とともに
私は 知性の出力を 確信する
私は 自由意志の力に 導かれる

I define in order to question
Measuring fearlessness
I seal the output of intelligence
With the Self-Existing tone of form
I am guided by the power of free will

ひらめき+感謝と喜び=24時間

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No Excuse!!

2012.05.11 18:12|日記
「まずは、自分を自分で助けてください。それによって人を助けられるのです。身勝手なことではありません。是非、自分を助けることをしてください。自分を助けるということは、自分を尊び、本当の自分を生きる責任をとるということです。自分を助ければ助けるほど成長し成功するのです。成長し成功するほど、人の模範となれるのです。模範となれば、人もあなたの生き方を見て、成長しようと思えるようになるのです」http://www.williamandkevin.com/?cid=12ウィリアム・レーネンさんのスピリチュアルフレーズ

『ものごとは前向きに・肯定的に考えよう』とはよく言われることだけれど、『前向き・肯定的な考え』を無理やり自分に信じ込ませようとしても、そもそも「無理やり」ということは、自分の中に(ほんの僅かでも)不安や疑いがあるということで、

なんでもそうだけれど、極端というのは振れる幅が大きいということで、反対に振れると今度はそちら側に極端になる。つまり、あまりに極端な『前向き・肯定的』は、簡単に『後ろ向き・否定的』にひっくり返るということだと思う。

『自己暗示法』の創始者と言われるエミール・クーエ(1858-1926・フランス)は
『私は日に日にあらゆる面でますますよくなっていく』
という言葉を用いることを勧めたそうで、言葉を現在進行形にすることで、潜在意識が『前向き・肯定的な考え』を受け入れやすくなるのだそう。

自分自身に『許可』を与える方法も有効だそうで『私は〜することができる』と言い切ることに抵抗があるときにはまず、自分自身に『許可』を与える、つまり『私は〜してもよい』と自分自身に言い聞かせるといいそうです。

たとえば。。。
 『私は大好きなことを仕事にしてもよい』
 『私は豊かな生活を送ってもよい』
 『私は自分のことを愛してもよいし、多くの人から愛されてもよい』

まずは『無理やり』を自分に押し付けていないか?に気づく、そして、もしも『無理』をしているのであれば、それを力づくで自分に押し付けるのをやめる。

他人を尊び、他人にやさしくしようと思うなら、まずは、自分を尊び、自分にやさしくないとダメだと思います。

努力・忍耐・根性、人に甘くても自分に厳しくという克己的な精神性が強いニッポンジンは、自分にやさしくというと、自分を甘やかしてスポイルするというふうに(これまた)極端に考えがちのように感じるのだけれど

(好みの問題もあり、忍びがたきを忍び耐えがたきを耐えるのがだ〜いすき♡な部分も、多分にあるのだろう)、

いま目の前にいない誰かのことをあーたらこーたらしようとするのではなく、まずは、いま、ここにいる、自分をどうにかするのがいちばんてっとりばやいよなーと思う。

と、ここまで書いて思いついたのは、いま目の前にいない誰かのことをあーたらこーたらしようとするのは、いまここにいる自分をどうにか「しない」ことの、言い訳だね。そうだそうだ。

ぜんぜんはなしは違うのですが、タイトルのNo Excuseというのは、大学に入ってすぐの頃、Non Japaneseの先生の言ってること(英語)をクラスのメンバー全員がちょっと勘違いしていて、提出すべきものを提出しなかったことがあって、そのときに、みんなで、まだちょっと英語が完璧じゃなくて。。。みたいなことを言ったら、先生がバシッと言い放ったひとこと。日本語だとさしづめ「問答無用」ってところ。死ぬまで忘れないと思う。

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あら?いつの間に

2012.05.07 19:04|日記
すべて思い通りになるとは思わないし、選べることばかりではないことも重々承知しているのだが、

わたしはこれまでの今回の人生、

はっきりさせられることははっきりさせる、という文化的バックグラウンドのもと、

ほぼ「意志的に」生きてきたものだから、

なんとなく「相手も同じように考えているはずだし、きっとわかっているから・・・」と、

暗黙の了解のうちに物事がすすんでいくのが、ものすごーーーーーく!苦手である。

そうはいっても、暗黙の了解にもすてきな部分はあると思うので、

できれば、場面場面でうまく適応したいものだと思うのだけれど、

現時点においては「ものすごーーーーーく」苦手であるのはどうしようもなく、

なんとなーーーく物事がすすんでいくことが、なんとなーーーく少なくない今日この頃、

はっきりしてえええ、と、フラストレーションが増大して爆発することが、少なくない。

そんな、自分にとってとてもとても「頼りない」感じがしている「いま」、

実は、これまでの人生の中でもっともドラスティックな変化の真っただ中にいる。

誰かがこんなことをやろうとしている、というのを、いいんじゃない?と応援しているつもりだったのが、

いつの間にか、自分もかなりがっちり主体的に参加することになっていたり。

おもしろいけれど、気持ち悪い。と、いつまでもこんなことばかり言っていても仕方ないので、

とにかく、意志を持って授かるというか、受け取ることができるものは全部いただくわっ!と

懐をおっきくおっきく広げて、いただいてしまうしかないという心境です。

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Qu'est ce pue vous desirez?

2012.04.27 08:34|日記
365日、24時間、つねに「ご注文は?」と尋ねられている。宇宙はとーーーっても誠実で忠実な、レストランの給仕係なのだ。自分の前に出されたものは、たとえそれが「え?!」と思うものであっても、間違いなく自分がオーダーしたもの。それさえ忘れなければ人生はこの上なくゆかいせんばん。

わたしたちは生まれつき完璧な存在ではあるけれど、もしも学ぶ「べき」ことがあるとすれば、それは、自分が望むもの・こと・状態を、きちんとオーダーするための表現方法かもしれない。

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シンプルなまいにち

2012.04.26 19:53|日記
『人を傷つけるかもしれない、怒らせたり、狼狽させるかもしれないと考え、真実を伝えず、真実を伝えることを避けていることは身勝手です』

『あらゆる罪悪感は 身勝手な行為であることを忘れないでください。罪悪感は、自分の魂のバランスと成長を許さない行為であり、人に成長ももたらさない行為なのです。楽しむことに罪悪感も持つべきではありません。罪悪感はネガティブなエネルギーなのです』

あいかわらずシビアなウィリアム・レーネンさんのことば。情ではなく愛を感じる。そして、決してひとをコントロールしようとしない態度も。

事情(あ、ここにも、情という字が入っている)に左右されず、必要なときに起こる必要なことに対して、必要に応じてできることをする、というのに慣れないと、自分が思っている以上に罪悪感に振り回される。ということは、自分が思っている以上に、罪悪感を身に纏って生きているということかもしれない。罪悪感+被害者意識を「好む」自分に、びっくりすることもしばしば。

正直であること、率直であること、誠実であること。そして、自分を愛すること。
それは、人の期待を生きようとしないこと、人の期待にこたえるのをきっぱりとあきらめることだと思う。
わたしが生きているのは、誰かにわかってもらうためでも、誰かに何かを証明するためでも、ない。
ただ、よろこぶため。どんなことでも!←これがとても重要。とてもシンプル。

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身体や五感に、やれることとやるべきことをといかけながら、 ゆっくり進む時

2012.04.05 20:59|日記
昨日から二十四節気の清明。『万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也』(暦便覧)

一昨日は、台風並みに発達した低気圧の影響で、ものすごい暴風雨(ウチの周囲は何度も停電するほどの雷)でした。そして、嵐が去ったあとはまさに、清浄明潔という感じがします。

また、中国茶愛好者にとっては、清明と聞くとそわそわどきどきします。中国では、清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」と呼ぶのですが、とくに緑茶の明前茶は貴重品・高級品なのです。ところが、中国茶ニュースhttp://www.china-tea.org/Html/201221782643-1.htmlによると、今年は低温と降雪の影響で一部の新芽が凍死しており、初摘みが例年より遅れているようで、まったくもって気を揉むお天気が続いています。ましてや、農業を営まれているかたがたにおかれましては、なおさらかと。まあ、にんげんも自然の一部ですから、ぜんぶがつながっているのだろうなと思います。


ウィリアム・レーネンさんの今日のブログに、
『多くの人にとって、自分を知るプロセスが今、重要なのです。違うと思えば止め、違うことをしていけばいいのです。楽しめない、喜べない、興味がない、ひかれないということを知ることも自分を知るプロセスです。すべてが経験です』http://www.williamandkevin.com/
とありました。

そして、わたしは、自分が『やりたいことをやる』ことについては、ぜんぜん抵抗を感じなくても、『違うと思うことを止める』ことについては、抵抗というか罪悪感というか後ろめたさのようなものを感じる、ということに、あらためて気づきました。

止める=負ける、逃げる、中途半端なところで投げ出す、悪いこと、恥ずかしいこと、みっともないこと、という決めつけが、まだ、わたしの中に、残っているわけです。

でも、まだ残っているということは、まだまだまだまだ手放してスッキリする余地や機会があるということで、それはかなりうれしいこと。

そんななか、大学時代に、うっかり学費の振込みを忘れていたら、大学から「〇月〇日までに学費を振り込まないと退学になります」というクールな手紙が届いたことを思い出しました。わたしは一瞬「退学?ど・ど・どうしよう」とパニックになったものの、退学になるということはわたしにとって「まったくもって想定外の出来事」で、そうなったらこれまで自分では思いついたこともない人生がはじまる、と思いついて、退学になるのもいいかも、とちょっとわくわくしたことを思い出しました。

いま、まだはっきりしないものの、もしかすると、まさに「まったくもって想定外」の人生がはじまりそうな、そんな予兆を感じています。

大学を退学になるかも?とはレベルが違うのですが、一瞬「ど・ど・どうしよう?」とあわあわしたあとで、これはかなりおもしろい事態だ、と、心からおもしろがっている自分を発見しました。

自分で思った以上に、まだまだまだまだ自分で自分に制限をかけている。そんなことを気づかせてくれる、大きな変化と、わくわくしながら対話中です。


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自らが光を放つ

2012.04.03 08:08|日記
あ!っという間に、4月。しかも今日は、春の大嵐。

『…人の行動の仕方は、その人がものごとをどのように考えているかということに、直接つながっているのです。
思いどおりの方法でものごとを行うためには、思いどおりに考える術を身につけなければなりません。…
自分が思いたいように思考する、ということは見えるものだけにまどわされないで、「真実」を思考するということです』(『富を「引き寄せる」科学的法則』ウォレス・ワトルズ)
富を「引き寄せる」科学的法則 (角川文庫 ワ 5-1)富を「引き寄せる」科学的法則 (角川文庫 ワ 5-1)
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ある晩こんな文章を読んでいたら、翌朝、出勤中、こどもが間違いや失敗を恥ずかしく感じるようになって、嘘をついたりごまかしたりするようになるのは、エデンの園のアダムとイヴと同じだなあ、と思った。ただ「どうして?」と問われているだけなのに、勝手に責められたり叱られたりしているように感じるのは、ただ単純に自分の中(だけ)に疾しさがあるからだと思うんだけど、疾しさを感じるような言動をするようになるのも、またひとつのプロセスで、間違いや失敗を貴重なチャンスとしてよろこんで受け入れるようになるのが、おとなになるってことかなあとぼんやり思った。

『深い森で道に迷ったときに、たったひとつできること。それは、自らが光を発することだ』

むかし読んだ小説に、そんなことが書いてあって、いつもわたしの心の奥底で、白い小さな石のようにぼんやりと輝いている。

自らが光を発するためのわたしのマントラは「いま、わたしは、何を経験している?」という問いかけ。あなたは悪くない、わたしも悪くない、誰も悪くないし、何も悪いことは起きていない。ただ、然るべき時に、然るべきことが起こるだけ。そのことを、素直に、正直に、謙虚に、クリアに、ありがとうとともに受け止めるとき、宇宙の果てまで光が放たれるのだと思う。

ダメなワタシ、とは思わない。ただ、もっともっともっともっと、素直に、正直に、いこう、と思う。そんなことを思い起こさせてくれた経験および関係者に感謝。

そして、もっともっともっともっと、シンプルに。

『人生をシンプルにしてください。自分で決めていくだけです。自分にとって適切だということだけを指針にしていったらどうでしょう。人は関係ありませんそして、もうこれ以上、喜びや笑顔をおさえこまないで、どんどん出していくことが大切でしょう。

人に影響を受け、押さえ込まないで生きていくことが大切です。毎朝、鏡を見て、「おはよう私の親友」と自分に言うんです私もいつも自分に、私が私の親友なんだということを言っています。やってみてください

今まで人を意識しすぎて生きてきた人にとって、楽じゃないかもしれません。自分で自分に親友ということは辛いかもしれませんでも、自分に対する辛抱強さを持ってやっていったらどうでしょう』(ウィリアム・レーネンさん)

いつでも、どこでも、誰といても、すとんと、力まず、弛まず、落ち着いて、エレガントに(これだいじ!)、ほほえみとともに、天と地の中心にいようと思う。

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J'aime le chocolat!!

2012.03.23 18:57|日記
昨夜、セルフのガソリンスタンドで。給油が終わり、精算機でお釣りを受け取ろうとしたら、直前にいたひとが二千円受け取らずに車へ戻っていくところだった。いっしゅん、知らんぷりしてそのままもらっちゃおうかな?という気持ちが湧き出た。ワタシはこういうときに、ネコババするなんて発想一瞬たりとも浮かばないわっ!、などということは、決して、ない。ただ、〜すべきという倫理観が判断基準であるわけでも、ない。それをやったときに、自分がどういう感じがするか、それだけ(もしかすると、小指の爪先ほども罪悪感や葛藤がなく、心の底から「天の助け!超うれしい!!」と感じるなら、ネコババする・・・かもしれない)。・・・という、考え、というより、感覚が駆け巡るのを、どこかちょっと離れたところで「おもしろーい」とか言いながら観察している自分もいて、それがとてもおもしろかった。

・・・と、単純に純粋に、自分のなかみの揺らぎを楽しんでいたところ、父の思い出が蘇った。
最近、わりと頻繁に父の思い出が蘇るのだが、その最大の理由は、吉本隆明さんが亡くなったこと。父が存命だったら、吉本隆明さんと同い年だったことが、ついこのあいだ判明したのだ。あらまあ。確かにあの、むやみやたらと迷惑なほどに!偉大な感じがするところとか、なんだか同じようなニオイがしたものだ。まあ、それはさておき。

わたしが幼稚園生(年少さんか年長さんかは失念)のときのこと。父に「ものをぬすんじゃいけないんでしょ?」と質問をしたところ、返ってきた答えはこういうもの。「みつえやきょうこ(わたしの妹)やママがおなかをすかせて泣いていたら、パパは食べるものをぬすんできて、おまえたちに食べさせるよ。それは悪いことか?」

うーーーん。いまでも思い出すと涙が出る。

そこで、連鎖的に思い出すのが、だいすきな映画『ショコラ』で、若い神父さんが勇気を奮い起こして伝えたこんな言葉「人間の価値は、何を禁じるかでは決まらない。何を否定し、拒み、排除するかでもありません。むしろ何を受け入れるかで決まるのでは?何を創造し、誰を歓迎するかで・・・」



なんだかまとまらないのだけれど、禁じられているからとか、決まっているからとか、ずっとそうだからとか、あたりまえすぎるからとか、そういうことではなく、

それは自分にとってどういう感じをもたらすか?を確認していこうと思う。たぶん父はこういうことを伝えたかったんだろうな(違ったらごめん!)

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きもちがすんなり戻る場所。

2012.03.15 17:54|日記
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幼子のように

2012.03.15 13:45|日記
昨日ここに「なんだかシンクロ」と書きましたが、まさに!って文章にたったいま遭遇したので、シェアさせていただきます。

「いまここ」をのぞくのも、もう、ほんとに、ひさしぶりなんだよなー おもしろい!!

王の素:いまここ

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心を裸にするということ

2012.03.14 20:17|日記
今日は、職場でこのふたつの動画をみていたら、ナミダでぼろぼろになりました(;_;)






リンクさせていただいているおともだちのサイトhttp://ceblue.blog91.fc2.com/の最新記事にも

天才と呼ばれている人達は、魂意識を優先させて、自分の「喜び」のために生きています。イチローは嫌々努力しているのではなく、喜びから飽くなき練習を積み、集中力を発揮します。

それに対して普通の人々は、肉体意識が優勢で、「生き残る」ことを最優先に生きています。つまり「生活のために、やりたくない仕事をやめられない」し、「世間体のために、ねばならないことを無理やり自分に課している」わけです。

誰にでも「天才性」は潜んでいて、「天才性を発揮すること」=「魂意識で生きること」になります。


とありますが、さいきんこのての話題をあちこちで(WEB上を含めて)していて、なんだかシンクロしているなあと感じます。

先日、小さいこどもさん(もうすぐ1歳、もうすぐ2歳、4歳、6歳、全員レディー♡)とご一緒させていただく機会がありました。

わたしは、自分の甥っ子を筆頭に、肉親であろうがなかろうが、どんなに小さいこどもさんが相手でも、

口調や声音を変えないように、言葉自体は変えても話題をつくろったりしないように、訊きたいことがあれば本人に直接話しかけるように(たとえ相手がまだしゃべれなくても)

そして、

遊ぶのでも、自分自身が本当に心底楽しんでいるか、相手がこどもだからといって無理に合わせていないか、

手を抜かず、本気で接するように、ものすごく気を付けています。

こちらが、手を抜かず、本気で接すれば、どんなに小さなこどもさんでも、同じように、手を抜かず、本気で返してくれます。

なんせあちらは「こちら」に来てまだ日が浅い、先生のようなかたがた=魂意識で生きているかたがたなので、

「こちら」に来てからかなり経って、ボケボケのニブニブになっている(=肉体意識優勢の)わたしよりも、むしろ、たくさん、わかっているので!


魂意識で生きるということは、ある意味、こどもになることなのではないかと思います(“childish”ではなく“childlike”)。

わくわくして眠れなくなったり、楽しくてごはんを食べるのも忘れちゃったり。

そういう自分を、人がどうみるか、なんと言うか、そんなこと、思いつきもしないで。


ピナ・バウシュという天才の、ふたつの映画の予告編をみながら、そんなことを感じました
(でも、ふたつとも長野での上映予定がないだよ…T_T)。

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